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お竹さんは心配症

散る桜 残る桜も 散る桜

本日のタイトルは、良寛和尚の句です。

12月に入り、ゲンパパさんやすずどんさんと
白くなった姫路城を見に行ったり
翌日には岡山の秋田犬本部展に行って
懐かしい人と再会したり、はじめましての人とお会いして
楽しい日を過ごしていたのですが・・・。

12月11日午後、義母が永眠しました。
満で96歳でした。

12月に入って仕事が忙しく
やっと残業を替わってもらって、お見舞いに行こうとしたその日でした。
会社を出て、病院に行こうとしたその時に、主人からの電話で知りました。

ここ一カ月程、足に水がたまるということで
入退院を繰り返していたのですが
お見舞いに行っても、割に元気そうで
高齢にも関わらず、頭はとてもはっきりしていたので
まさかこんなに早く、義母とのお別れがやってくるとは
ゆめゆめ思っていませんでした。

私にとっては義母・・・ということになるのですが
何せ私と主人が歳が離れているのと
主人が6人兄弟の末っ子なので
私にとっては、義母というより
優しい優しい、祖母のような人でした。
良いか悪いかはわかりませんが、姑という感覚はなかったです。

義母は大正8年生まれ。
若い時から働き者で、決して裕福ではなかった家計を支えておりました。
義父がどちらかというと呑気な人だったので
主人や兄弟達に昔話を聞いていても
義母が大変に苦労したのは想像に難くないです。

人の悪口を言わず、歳を取ってからでも自分の事は自分でできて
義姉が近くに住んでいるので、再々行って身の回りの世話はしていましたが
最後まで、70年住んだ主人の実家で、一人で生活していました。

亡くなる数日前まで、比較的元気で
最後もあまり苦しい思いもせずに逝ったようなので、それが救いです。

ただ、もっともっと、義母には100歳まで長生きして欲しかったので
残念で、寂しくて、もっと色々、何かしてあげれたのではないかと悔みます。

本当に本当に、優しくて素敵な義母でした。
最後まで、子供孝行・嫁孝行だった義母には、感謝しかありません。

主人は末っ子で、上の兄姉5人が学校を卒業してすぐ家を出たのに比べ
27歳まで義母と生活していたので、一番長く義母と過ごし
大変なお母ちゃん子でした。
覚悟はできていたそうですが、主人の寂しさは察するに余り有ります。
他の兄弟、孫たちも、それは同じだと思います。

そのような事ですので、年賀状等、年始のご挨拶は控えさせていただきます。
どうぞよろしくお願いします。

ばあちゃん、今まで本当にありがとう!
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※沢山のコメント、本当にありがとうございます。全てありがた~く読ませていただいております。


↑ありがとうございます

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by nyayu2648 | 2015-12-17 10:02 | Myself